月別アーカイブ: 2018年5月

岡田武史ってどんなサッカー指導者?

岡田武史は日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現在はFC今治運営会社「株式会社今治.夢スポーツ」代表取締役、日本エンタープライズの社外取締役、城西国際大学特任教授、日本サッカー協会参与(名誉役員)。

今日は、岡田武史監督について簡単に紹介する!

岡田武史は、大阪府大阪市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

ここでは、岡田武史のタイムラインを簡単にご紹介します。

・1958年
大阪府大阪市に生まれる。社員として働く傍ら、古河電気工業サッカー部(ジェフユナイテッド千葉の前身)に入団。

・1980年
古河電工に入社。

・1980年
1980年6月1日のジャパンカップのエスパニョール戦で日本代表にデビュー。

・1982年
インド・ニューデリーで開催されたアジア大会に出場。

・1986年
日本のチームとして初となるアジアクラブ選手権優勝に貢献した。JSL1部での通算成績は189試合9得点。

・1993年
古巣・古河が母体となったジェフ市原でコーチを務めた。

・1988年
日本代表の監督に就任。

・1994年
浦和レッドダイヤモンズの監督に就任した。

・1995年
サッカー日本代表コーチに抜擢される。

・1999年
コンサドーレ札幌の監督に就任。

・2002年
サッカー解説者として活動。FIFAワールドカップ日韓大会ではNHKの解説者を務め、フィリップ・トルシエ退任後の次期日本代表監督候補にも噂された。

・2003年
横浜F・マリノス監督に就任。

・2008年
日本代表監督に再就任した。

・2010年
日本サッカー協会(JFA)の役員改選で、JFA理事に就任した。

・2010年
アジアサッカー連盟(AFC)より、日本人では桑原隆(1998年)、西野朗(2008年)以来3人目となるAFC最優秀監督賞を受賞。

・2012年
中国サッカー・スーパーリーグの杭州緑城足球倶楽部にて指導者に復帰。

・2014年
2014年2月、デロイトトーマツコンサルティング、特任上級顧問に就任。同月には内閣府『選択する未来』委員会の委員に就任し、主に教育問題に取り組んでいる。

・2016年
日本サッカー協会(JFA)副会長に就任。

・2018年
2018年3月24日付で、JFA副会長を退任し、日本サッカー協会(JFA)参与(名誉役員)となった。2018年4月12日、JFAシニア・アドバイザーを委嘱されることが決まる。

まとめ:

彼は幾つもの失敗を繰り返し、周囲を迷わせ、リスクを生じさせた。一方で日本におけるW杯史上最高の成績を挙げた。

退任後、雑誌やTVを投じて裏話や苦悩と葛藤が「いい思い出」のように紹介され、これで彼は(少なくとも世間的には)ベスト16とともに好意的な評価に落ち着いた。その筋書きを作ったのは誰か分からないけど、なかなか「したたか」な振る舞に、賢いさと強さを感じた。

横山謙三ってどんなサッカー指導者?

今日は、横山謙三監督について簡単に紹介する!

横山謙三は、埼玉県浦和市(現さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

ここでは、横山謙三のタイムラインを簡単にご紹介します。

・1943年
東京神田に生まれる。

・1959年
埼玉県立川口高等学校に入学した。高校3年時、ゴールキーパーに転向。

・1962年
渡辺正のいた立教大学(社会学部)に進学した。卒業後、JSLの三菱重工(現・浦和レッドダイヤモンズ)に入団した。

・1966年
日本代表サッカー選手に選出された。

・1976年
三菱重工の監督に就任した。

・1988年
日本代表の監督に就任。

・1994年
浦和レッドダイヤモンズの監督に就任した。

・1985年
日産の監督に再び就任。

・1990年
配属されていた貿易部が東京に移転したが、加茂は特別に大阪に残され、サッカーだけに専念できる環境が用意された。

・1994年
日本代表の監督に就任。

・1995年
浦和レッズのゼネラルマネージャーに就任。

・2006年
財団法人埼玉県サッカー協会専務理事に就任した。

まとめ:

この前の森監督時代はW杯予選決勝進出、石井監督時代は五輪出場まであと1勝と迫っていただけに、W杯アジア地区予選の1次予選であっさり敗退してしまったことに、結果として逆行しており、ファンを失望・落胆・激怒させたのも無理はなかった。日本代表監督在任中の通算成績は5勝7分12敗(数字的に見てもやはり酷いものです!!)。勝率=20.83%。

加茂周ってどんなサッカー指導者?

サッカー日本代表といえば、「サムライ・ブルー」という公式のペットネームが人々に知られている。だが、その前には、「監督名+ジャパン」という呼称が用いられている。例えば、「加茂ジャパン」という呼称が過去には一部の呼ばれていた時期もある。

今日は、「加茂ジャパン」の加茂周監督について簡単に紹介する!

加茂周は、兵庫県芦屋市出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。

ここでは、加茂周のタイムラインを簡単にご紹介します。

・1939年
大阪府豊中市に生まれる。

・1958年
兵庫県立芦屋高等学校入学後、上級生から薦められるままにサッカー部に入部する

・1960年
関西学院大学英文科に入学。
2年生からサッカー部に入部する。

・1964年
大学を卒業してあと、関学サッカー部の先輩に誘いを受けて、ヤンマーディーゼルサッカー部(現・セレッソ大阪)に入団

・1966年
2シーズンのあいだ同リーグでもプレーし、14試合出場1ゴールを記録している。

・1970年
配属されていた貿易部が東京に移転したが、加茂は特別に大阪に残され、サッカーだけに専念できる環境が用意された

・1974年
日産自動車サッカー部(現・横浜F・マリノス)の監督に就任。

・1985年
日産の監督に再び就任。

・1990年
配属されていた貿易部が東京に移転したが、加茂は特別に大阪に残され、サッカーだけに専念できる環境が用意された。

・1994年
日本代表の監督に就任。

・1999年
アルビレックス新潟のアドバイザーに就任。

・2001年
尚美学園大学サッカー部総監督

・2003年
大阪学院大学サッカー部総監督

・2007年
関西学院大学体育会サッカー部の監督を歴任。

・2010年
関西学院大学サッカー部の総監督に就任。日本放送協会(NHK)とGAORA(FCバイエルン・ミュンヘンTV)でサッカー解説を担当している

まとめ:

2017年8月、加茂周監督が日本サッカー殿堂に入った。ご存知のように、加茂周がサッカー日本代表監督を務めたあと、1998FIFA・ワールドカップアジア最終予選では、途中解任されると言うことを受けた。この途中交代の印象から加茂周監督は悲劇の監督というイメージが残った。だが、彼が監督としての実績が抜群だと思う。