 |
ポーツマス講和条約 95号線を北にドライブすると、ボストンを出発して約1時間ほどでメーン州に入ります。メーン州とニューハンプシャー州との境のピスカタカ川にかかる大きな橋を渡る手前にポーツマス市はあります。 キトレーにあるアウトレットにショッピングに行く時のちょっとだけ手前です。95号線での北へのドライブでは必ず通るこの街が日露戦争終結のためのポーツマス講和条約締結の舞台になったことは、日本人の間でもあまり知られていないかもしれません。ところでこのページ。あちこちにリンクが貼られています。時間があったら、面倒がらずに是非すべてのリンクを見ていってください。 ポーツマス海軍工廠(Portsmouth Naval Shipyard)
 86号ビルの外に残る条約締結記念のプレート 1904年2月8日、日本海軍が旅順のロシア艦隊を攻撃することによって始まった日露戦争(この時に露軍を打つべし!という意味で発売されたのが、あの「征露丸」なんですよ。後に「正露丸」に改められました)日露ともに事情をかかえていて戦争の終結を望んでいました。日本は1905年3月の奉天会戦の後、武器・弾薬のストックがほとんどなくなっていた上に、8億円と見込んでいた戦費が18億円以上にも達していたのです。しかも兵隊の損失も激しく(203高地の占領のために多くの兵が犠牲になっていました)、経済的にも軍事的にも戦争の続行は難しい状況にありました。ロシアでは低賃金や住宅難を強いる独裁政治に対して民衆の反乱が相次いでいて、民衆の革命運動の高揚のために戦争継続が難しい状況でした。おまけに腐った牛肉入りのスープの不満をきっかけに戦艦ポチョムキンの反乱(水兵が将校46人も射殺)なども起きていて、兵士の士気も落ちていたのでした。
そんな時に両国の間に入って戦争を終わらせるための講和条約締結のあっせんをしたのが、当時のアメリカ大統領・セオドア=ルーズベルトでした。条約締結の場所としてワシントンD.C.を選ぶことは、講和会議にアメリカが介入するような印象を世界に与えるかもしれないという理由で見送られ、代わりに選ばれたのがニューハンプシャー州ポーツマスでした。ニューヨークやボストンなどの都会からもそれほど遠くなく、さらに潜水艦の建造・修理のために1797年に建設された海軍の基地があったのです。海軍工廠の中ならば、両国代表のための警備体制にも問題はないというのが理由でした。この決定はポーツマスにとっても大事件で、当時全く名も知られていなかった地方都市に報道陣がおしかけ、一躍有名になったのでした。またルーズベルト大統領はこの条約の際の功労が認めれらて、後にノーベル平和賞を受賞しています。彼は新渡戸稲造の「武士道」が大好きな日本つうだったそうです。
1905年8月8日、 日本全権大使・小村寿太郎とロシア全権大使・ウイッテの両名は船でポーツマスに到着しました。両大使は19発の祝砲と街の人々の絶大なる歓迎を受けます。そしていよいよ海軍工廠第86号ビルに於いて8月10日より会議が開かれることとなります。会議は難航し講和条約の締結をあきらめかけた時もありましたが、両大使の努力により何とか約1ケ月後の9月5日午後3時47分に調印に成功します。ただし、日本はこの条約で占領下の樺太の北半分をロシアに返還することとなり、賠償金の要求も放棄することを余儀なくされます。日露戦争を大勝利と伝える報道を信じていた日本国民はこの条約の結果に激怒し、多くの人々が警察署や新聞社などを襲う日比谷焼き討ち事件を起こすこととなったのでした。
講和条約が締結された第86号ビル内には、ポーツマス海軍工廠の好意によって記念の博物館があります。中には日本とロシア両国の全権大使一行の写真など、条約ゆかりのものが展示されています。ユニークなのは条約締結の際に大使が立っていた床!(本当にその部分だけをくり抜いて額に入れて飾ってあります。上の写真参照のこと)や皇室の菊のご紋をまねてつくったマーク(一生懸命作ったんだろうなという雰囲気は解るけど、ちょっと違うかなというデザイン)などです。ポッキーが座っているのは、小村寿太郎が使用していた椅子です。
また最近になってポーツマス市のパブリックライブラリーの屋根裏でビデオが偶然に見つかりました。これは図書館が拡張工事をするために、本や収蔵品をあちこちに移していた時に見つけた入れ物の中に入っていたものです。古く貴重なフィルムであることが分かったので、早速ワシントンD.C.にある国会図書館に送って確認してもらうことになりました。調査の結果、国会図書館にもコピーのないポーツマス条約の際のフィルムであることが解りました。オリジナルは国会図書館で保存されることになりましたが、そのコピーはポーツマス市でも保存されることになりました。このビデオは全権大使たちの到着に続きパレードを写したもので、白黒ながらも当時の人々の歓迎の様子が解る大変貴重なものです。以前はこの博物館でもビデオを見るころができたのですが、残念ながら現在は特別の場合以外は見ることができません。
ポーツマス海軍工廠内にある講和条約記念博物館は、事前に予約をすれば原則的に見学が可能ですが、最近はセキュリティーの問題で見学ができない場合もあるようなので確認してください。詳しくはhttp://www.ports.navy.mil/へどうぞ。予約の時に見学に参加する人全員の名前が必要となるので注意してください。見学当日は、海軍工廠の入り口のゲートで車を止めます。海軍工廠にはゲートが2つあるので、予約の時にどちらのゲートへ行くのか確認すること。海軍工廠へは95号線のメーン州・出口1番で降り、103号線をまっすぐ。ネイビーヤードのサインを参考に。
ゲートからは担当のガイド(注:ガイドといってもセキュリティーのために来てくれる人なので、残念ながら条約についてはあまり詳しくない場合が多いようです)が行動を共にすることになるので、その人の指示に従うことになります。工廠の中は一切写真撮影が禁止なだけでなく、勝手に行動することも許されません。この見学サービスは全て海軍工廠の好意でやってくれているものなので無料ですが、ポッキーが仕事で行く時にはお客さまには寄付をお願いしています。金額は大きい必要はなく、気持ちでいいと思います。これらの寄付は博物館の保存のために使われます。ちなみにここを訪れるのは日本人ばかりで、ロシア人はまず来ないそうです。 ポッキーが行った時のガイドの人たちと記念撮影しました。 |
ところで講和条約が締結された時に使用された机が、現在何とダートマス大学にあります。ダートマス大学はニューハンプシャー州ハノーバー町にある アイビーリーグに属す優れた大学です。机はこの大学のWebster Hall内のRauner Special Collections Libraryにあります。一体どういう経緯でこの机が大学に来ることになったのかは不明だそうですが、机の上には記念のプレートがはめられて大事に保管されています。大学のある ハノーバー町が福島県二本松市と姉妹都市の提携をした時に、ポッキーは偶然にもこの机と出会うことになりました。写真はハノーバー町町議員長・ブライアン=ウオルシュさんと記念の机。 ウエントワース・バイザシー行き方:95号線ノース出口7番(ヒストリック・サイトのサインが目印)で降り、 ストロベリーバンク(注:銀行ではありません・爆!)の方へ向かいます。右側にある アルバコアパークを通り過ぎると角にシェラトンホテルがあるのですが、その手前を右に(Russell St.)行き、スグのつきあたりを右に。信号を左に曲がりMaplewood Ave.に乗り、3つ目の信号を左に入り1A(Miller St.)に乗ります。橋を越えてしばらく走り、モービルガソリンスタンドの所を左に曲がります。ウエントワースのサインがあるのですぐに解るはず。こうやって書くと複雑なような感じもしますけど、実際にドライブしてみたらそうでもありません。
ポーツマスの郊外は昔から避暑地として知られていて、4階建てのウエントワース・バイザシーも裕福な避暑客のために建てられた豪華ホテルの1つでした。もともとは1873年に建てられたもので、ウィントワースホールと呼ばれていました。マサチューセッツ州サマービルに住むダニエル=チェースという人が建てたものです。1840年にイースタン鉄道がポーツマスまで開通したので、夏に観光客がたくさん来るだとろうと期待して作られたのでした。最初は平屋だった建物は1879年に一挙に3階が建て増しされて、フレンチルーフのついた4階建ての建物へと拡張し現在のような姿になりました。
1905年に講和条約が締結された時に日本・ロシア両国の代表が宿泊したのがこのホテルです。毎年夏をこのホテルで過ごすことを楽しみにしていた多くの人が、この会議の間はホテルを利用することができなくて、寂しい思いをしたそうです。小村寿太郎は1008号室に宿泊したのだとか。その後も1956年のナショナル・ガバナー会議など、多くの重要な会議がこのホテルで開かれ、ニクソン元大統領やケネディ元大統領なども訪れました。しかしその頃はどんなにかりっぱであっただろうこの建物も1882年にホテルは閉鎖されてしまい、左側の写真のような幽霊屋敷のように荒れ果ててしまっていました。その後何度もの再建の計画、取り壊しの計画があったのですが、なかなか実現しないまま時が流れて行きました。1996年には何と歴史的建造物を保存するナショナルトラストにより「アメリカでもっとも危険な11の建物」の1つに選ばれ、その様子はヒストリーチャンネルによって「America's Most Endangered」という番組で放映されました。このホテルの運命もここまでかと思われましたが、1997年当時の河東哲夫ボストン総領事の協力もあって、巨大ホテルマネージメント会社がこのホテルの開発を管理することになりました。2003年5月にマリオットホテル・ウエントバイザシーとして右の写真のように新規オープンしました。以前のホテルの雰囲気をそのまま残した高級リゾートホテルです。すぐ横にはゴルフコースやヨットマリーナもあるリゾート地で、こんなところでのんびり過ごしたいなと思えるホテルです。詳しくはhttp://www.wentworth.com/へ。本当はとっても豪華なリゾートホテルなんですが、左と右の写真にそれほど違いを見ることができないのが残念。ちなみに左側が幽霊ホテルだった頃で、右側が現在です。

余談ですが、今から20年近くも前の1981年にNHKでポーツマス講和条約をテーマにした「ポーツマスの旗(原作:吉村昭)」というドラマが放映されました。「戦争と平和」「バラと策略」「武器なき戦い」「愛の旅立ち」の4本で、石坂浩二さん(とっても若い!)が主役の小村寿太郎を演じていました。そしてその番組の収録は実際のウエントワース・バイザシーホテルで行われています。機会があったら、このドラマのビデオをどうぞ。豪華だったホテルの様子を見ることができます。横浜にある放送ライブラリーなどで見ることができるようです。
ロッキンガムホテル
 ストロベリーバンクに行く途中、Middle St. からState St.へと曲がってスグの所に昔のロッキンガムホテルの建物があります。ここには条約締結の模様を取材にやってきたプレスの人々約170名が宿泊した場所です。現在はコンドミニアムになっているので、内部を見学することはできませんけど、建物の前にあるライオンなどが当時の豪華な雰囲気を伝えています。ポーツマスの街に残る歴史を知るもう1つのてがかりです。 |
| |