ボストン郊外の街・プリマス

イギリスからやって来た清教徒と呼ばれた人々が、初めて定住に成功した町。当時の様子を知ることのできる見どころがたくさんあります。また、宮城県七ケ浜市と姉妹都市の提携をしています。

プリマスプランテーション

住所:137 Warren Ave. Plymouth MA 02362 電話:508-746-1622 行き方:93号線サウスより3号線に乗り、ケープコッド方面へ。4番の出口で降りたら、あとは表示に従って下さい。ボストンから車で1時間ほどの距離。メイフラワーII世号からは、Water St.から3Aをまっすぐ10分ほど。ケープコッド方面から来ると、何故か4番の出口がないので注意のこと。夏期はいつも混んでいますが、日曜日の午前中が比較的すいていると思います。詳しくはhttp://www.plimoth.org/へどうぞ。

プリマスプランテーションの歴史

多くのアメリカ人は清教徒たちの歴史に夢中になるのですが、そんな1人にヘンリー=ホーンブローワー2世がいました。彼はほとんど毎夏、家族との休暇をプリマスで過ごし、清教徒たちはどうやって暮らしていたのだろうと考えていました。そして、彼の夢は多くの人々に清教徒たちの暮らしを紹介する博物館を作ることでした。1945年12月、彼はとうとう2万ドルをピルグリムソサエティに寄付をし、夢の実現のための1歩を踏み出したのでした。これがプリマスプランテーションの始りです。ちなみにプリマスプランテーションとは、清教徒たちの初代知事ウイリマウ=ブラッドフォードが彼の日記に書き残した言葉です。

1948年に清教徒の町の最初の建物、集会所がプリマスロック(後述)の近くに完成しました。最初の年には39万もの人が訪れました。しかし、ヘンリーはもっと多くのものを展示したいと考えていました。それには、もっと広い土地が必要となり、イール川のほとりに彼の夢の実現にピッタリの場所を見つけました。1953年には集会場が、1955年には1627年当時を再現した村が作られることとなりました。プリマスプランテーションを作るために、歴史家たちは初代知事ブラッドフォードの日記や当時のプリマスに関しての記録を勉強しました。さらに40年間にも渡って考古学者がプリマスを発掘し、食器・貨幣・農機具など35万点にも及ぶ品々を発見しました。これらのものを基に当時の家や家具、洋服などを忠実に再現していったのです。

ビジターセンター

プランテーションに到着したら、先ずはここビジターセンターに入り、ここで入場料を支払います。メイフラワーII世号との共通チケットもあるので、両方行く予定の人はお得。日本語の案内もあるので、是非どうぞ。とっても役に立ちます。ビジターセンターには清教徒の生活に関する展示・カフェテリア・トイレなどの設備があります。ギフトショップもあるので、おみやげも買うことができます。時間に余裕があるのならば、入り口をまっすぐ行ったつきあたりにあるシアターで15分ほどの映画を見学するといいです。清教徒たちの歴史やプリマスプランテーションについての説明が見れます。

キャリッジ・クラフトハウス

15世紀の英国風の建物を再現して作られたこの建物の中では、17世紀の工芸品を再現して作っています。陶器:2種類のクレーを使用して、食器を作っています。特に持ち手がたくさんついたマグカップは独特のデザインで、食器の数が十分でなかった当時に回し飲みが簡単にできるように工夫されたものです。他にも家具、バスケット、はた織りなどのデモンストレーションが見れます。ここで作られたものは実際にプランテーション内1627年の村で使用されています。また、クラフトセンター内の売店でも購入することができます。

1627年の清教徒たちの村

クラフトセンターを出るとすぐに左の写真の「17世紀へようこそ」と書かれた看板があって、ここで舗装された道も終わりとなります。いよいよ17世紀にタイムトリップします。ここでは清教徒たちがアメリカに到着してから7年後の1627年当時の様子が再現されています。1627年が何故選ばれたかというと、この年が一番記録によく登場するので比較的再現しやすかったからです。村には縦につきぬける「the Street」と横に走る「the Highway」の2本の道が通り、そのわきに15軒ほどの家が並んでいます。

先ずは村の入り口にある集会所に入ってみましょう。ヴァージニア植民地の人々がインディアンによって虐殺されたというニュースを聞いてから、10ケ月かけて1622年に建てられた砦を再現したものです。友好的でないインディアンやフランス、スペインなどの船がやってくるのを見張る役目も兼ねていて、2階には大砲も設置されています。ただし幸運なことに誰もここに攻めてきたことはありませんでした。またこの建物は日々の礼拝の場所としても使われました。2階に上がると村の全景がよく見えます。

村に再現されている家の中へは自由に入ることができます。これらの家は1627年当時の歴史を基に完璧に再現してあり、村の中央にはブラッドフォード知事の家もあります。村には当時の服装をした人々がいて、17世紀の人々になりきっています。オールドブリティッシュイングリッシュを話し、いつごろプリマスにやってきたのか、家族構成はどうなっているのか、など史実通りに説明をしてくれるので、積極的に話をしてみましょう。ビジターセンターでもらった日本語案内にどこに誰が住んでいるのかの説明があるので、じっくりと読んでみるといいです。

17世紀当時は自給自足の生活で、人々は農耕をし、家畜を飼っていました。それぞれの家の庭には農園があって、小さく仕切られた中に野菜や薬草などを植えています。具合が悪いときはどの薬草を飲めばいいのかという医学的な知識を当時の女性たちは持っていました。また、村の中ではとうもろこしや大麦が植えられています。ここで作られたのはインディアンコーンという小さめのとうもろこしで、ひいて粉にしてパンを焼いて食べました。村の中には共同のパンを焼くかまがあります。大麦からはビールを作りました。当時は栄養分として、また水代わりとして人々はビールを飲みました。病原菌についての知識がなかった人々にはどうしてかは解らなかったけど、とにかく熱処理をしたビールならお腹をこわさないので安心して飲めたのです。村にいる家畜も17世紀のフリをしているって知っていましたか?17世紀当時は、家畜も現在とは少し違っていたそうです。例えばブタの足は現在よりも長かったり、羊の毛は今よりも短かったり・・・ 村にいる家畜たちは、なるべく17世紀当時の外観に近いものを探したそうです。

ホバモックのホームサイト

帰りは同じ道ではなく、村のまん中の「the Highway」からイール川沿いを通ってビジターセンターへ戻りましょう。天気のいい日はイール川沿いの景色がとってもきれいです。イールとはウナギのことで、この川でウナギが捕れたのでその名前があります。当時の人々も滋養強壮のためにウナギを食べたそうです。イール川沿いの散歩道を抜けると、インディアンの家があります。ワンパノアーグ族の大酋長・マササイトの相談役であったホバモックは、インディアンを代表して清教徒たちと一緒に住んでいました。ここには「Wetu」と呼ばれる当時のインディアンの家があって、中に入ることができます。丸太を燃やしてボートを作っていたり、料理をしていたり、毛皮をなめしていたりとインディアンの伝統的な技術を見ることができます。

メイフラワーII世号

住所:State Pier Plymouth MA 02362 電話:508-746-1622 3月終わりから11月のみオープン。経営はプランテーションと同じです。
行き方:93号線サウスより3号線に乗り、ケープコッド方面へ。6番の出口で降り44号線をプリマスヒストリックサイトの方向へ。ボストンから車で1時間くらい。プランテーションからは、3Aをまっすぐ行ってWater St.へ。10分ほどの距離です。

メイフラワーII世号の歴史

メイフラワー号を現代に復活させようというアイディアを一番最初に考えたのは、アメリカ人ではなく、イギリス人・ワーウィック=チャールトンでした。彼は第2次世界大戦を連合軍としてイギリスと共に戦ったアメリカに感謝の意を表するために、メイフラワー号のレプリカを作ろうと考えたのでした。1955年3月、チャールトンの考えに賛同したイギリス人・ジョン=ロウがプリマスプランテーションの責任者にあい、メイフラワー号のレプリカを展示の1つに加えたらどうかという彼等の考えを伝えました。偶然とはスゴイものです。何と、プランテーションでも丁度メイフラワー号のレプリカを作ろうと考えていたところで、ウィリアム=ベーカーという人が素手にデザインも考えていました。お互いの話はスグにまとまり、ベーカーのデザインを基にメイフラワーII世号をイギリスで作成し、大西洋を渡ってプリマスまで運ぶことになりました。そして1957年4月20日、いよいよメイフラワーII世号はイギリスを出航しました。船長はオーストラリア人のセイリングの達人、アラン=ビライアー、代表として選ばれた2人の少年:アメリカボーイスクラブ・ジョセフ=ミニーとイギリスのグラハム=ナンも乗船していました。メイフラワーII世号は、1492年にコロンバスが通ったのと同じ航路を通って、6月13日にプリマスに到着しました。1620年には66日かけて清教徒たちが航海しましたが、メイフラワーII世号はそれより短い53日間の航海でした。

メイフラワーII世号

大きさ:181トン・全長35メートル・船幅8.5メートル。これは17世紀初めの典型的な中型のサイズです。また船尾に大きく描かれているのがメイフラワーで、マサチューセッツ州の州花にもなっています。船に乗る前に簡単な展示があって、1620年に船に乗り込んだ人々の名前、出身地などがパネルになっています。船の中は順路にそって、自由に見学できるようになっています。乗り組み員のための食事の支度をするフォークセル→地下のキャビン→船長の部屋などを見ることができます。もともとメイフラワー号は客船として作られたのではなく、商業船だったのと、一緒に来る予定だった「スピードウエル号」がキャンセルとなったために、予定以上の人々が狭い空間に詰め込まれていた状況がよくわかります。余談ですが、数年前までは17世紀の服装をした人々が船上にたくさんいたのですが、最近は大分数が少なくなってしまったようです。代わりにT-シャツを着たガイドの人が乗船しています。

プリマスロック

メイフラワーII世号から徒歩2分。ギリシャの神殿風の柱が目印。

1620年に清教徒がプリマスに上陸した時に第1歩をしるしたとされる岩。この岩は1741年にトーマス=ファウンスによって確認されたものです。ファウンスは1647年に生まれ、1694年から彼の亡くなる1746年までプリマスのファースト教会で司祭を勤めていました。プリマスロックに関する情報は1623年に「アン号」でプリマスにやって来た彼の父親から耳にしたものでした。その当時は「メイフラワー号」で初めてやってきた人々についての情報は、誰でも知っていて当たり前のことで、例えば初代知事・ウイリアム=ブラッドフォードもファウンスが10才になるまで存命でしたし、ファウンスの少年時代には、まだ23人もの初代清教徒の人々が暮らしていたのです。プリマス湾が工事をされて現在のように広くなる前には運河があって、清教徒たちはその運河を通って上陸してきたと考えられていて、ファウンスが父親から聞いた話とピッタリとマッチしたのでした。清教徒がプリマスに上陸した12月22日が初めて正式にお祝いされたのは、1769年のことでした。プリマスロックへの関心も次第に高まり、1834年の独立記念日にはピルグリムホールの正面へと移されることになりました。しかし、もともとのプリマスロックはとても大きいもので、移されることになったのは上半分で、残りの下半分は海のなかに埋まったままでした。ピルグリムソサエティの理解者・ヘンリー=スティックニーの寄付によって、やっとロックの下半分もピルグリムホールへ移動できるようになり、1880年にやっと上半分と下半分がセメントによって合体することになりました。さらに、この時に清教徒がやってきた年号:1620が刻まれることになりました。

1920年に清教徒上陸300周年を迎えると、プリマスロックはまた新しい場所へと移ることになりました。ウォーターフロント地区の再開発も兼ねて、コールスヒルのふもと、もともとロックのあった海ぎわに設置されることになったのです。ロックの周りはナショナルソサエティ・オブ・コロニアルディームスの寄付による、ギリシアの神殿風の柱で囲まれることになりました。この柱のデザインは、ボストンシンフォニーホールなどでおなじみのマッキム・ミード・ホワイトによるものです。周りの柱がかなり仰々しいので、中にある「プリマスロック」はどんなものだろうと、期待にワクワクと中を見る人が多いのですけど、中は見てのお楽しみということで・・・プリマスにあるおみやげ屋さんで、プリマスロックの形の置き物なども売っていますよ(笑)。

大酋長マササイトの銅像

プリマスロックの向いにあるコールスヒル(Cole's Hill)の上。短い階段を上るとスグに行けます。
先住民族・ワンパノーアーグ族の大酋長マササイトの銅像は、プリマスの海を見下ろすように立っています。このブロンズの銅像は1921年にサイラス=ダリンによって作られたものです。彼の銅像の後ろには大きい石の棺があって、1620年に折角アメリカに到着したのに、最初の冬が越せずに亡くなってしまった清教徒たちの遺骨が納められています。彼等は、インディアンに死んだ人々の数や自分達が少数であることを知られないために、わざと墓を作らりませんでした。そのため、この棺は後になって彼等の遺骨が発見された時に供養するために、新しく作られたものです。また丘の上には
ナショナルワックスミュージアム(ロウ人形館)があり、清教徒の人々の歴史を学ぶことができます。入場料がもったいないという人も1階と地階におみやげもの屋さんがあって、けっこう充実しています。時間に余裕があるなら、ショッピングへどうぞ。地階にはトイレもあります。

フォアファーザーたちの記念碑

行き方:44号線ノースからAlleton St.を左に曲がります。
英語での名前はナショナル・モニュメント・トゥザ・フォアファーザーズ。ピルグリムソサエティによって1889年に完成。花コウ岩で作られた記念碑は81フィートの高さがあり、モニュメントヒルの丘の上に位置しています。左の写真では台座の部分しか写っていませんが、その上には女神像が立っています。写真が上手くとれなくてごめんなさい。中央部に位置する女神像はプリマスロックの上に立ち、片手を空に向けて高く揚げ、もう一方の手で聖書を持っています。女神像の周辺には道徳、教育、法律、自由を現わす4つの像が腰掛けています。さらにその像の下には聖教徒たちの歴史:オランダからの出発、メイフラワーコンパクトの署名、プリマス上陸、大酋長マササイトとの平和条約がデザインされています。この記念碑はボストンに住んでいたハマット・ビリングスによってデザインされ、制作費は国家、マサチューセッツ州、コネチカット州、1万人以上の寄付によってまかなわれたそうです。

クランベリーワールド

住所:7 Eda Ave. Carver 02330 電話:1-877-edaville 
行き方:ボストンからは、3号線を出口6番でおり、44号線ウエストから58号線サウスに乗りロチェスターロードからパインストリートへ。エダビルU.S.A.というテーマパークの中にあるのでクランベリーワールドを目的とするのではなく、イベントや汽車などの乗り物に乗りに行くことをお勧めします。子供向けのアトラクションがたくさんあります。詳しくは
http://www.edaville.com/へどうぞ。

ジュースでおなじみのオーシャンスプレーが経営。前はWater St.と44号号線がぶつかった角にあったのですが、プリマスから車で40分ほどの所にあるEdaville U.S.A.というアミューズメントパークの中へ移転しました。クランベリーワールドはマサチューセッツ州の特産物・クランベリーについてもっと知ってもらいたいという目的と、自社の製品の宣伝も兼ねた博物館。中にはクランベリーの収穫の仕方の歴史の展示があります。昔は、1つ1つ手で摘んでいたのが、チリトリのような形をした収穫の道具へと移項し、さらに現在のような水を入れる方法へと発展していったその歴史が説明されています。出口の手前には無料のジュースの試飲コーナーとおみやげものコーナーがあります。また合わせてクランベリーを使ったお料理も紹介していて、こちらも無料で試食することができます。レシピもあるので、気に入った人はどうぞ。ジュースの試飲コーナーにはクランベリーを中心に10種類くらいのジュースが置いてあって、好きなだけ飲むことができます。クランベリージュースが苦手という人には、クランベリーとアップル、クランベリーとオレンジなどいろいろなミックスジュースもあるので、どうぞ試してみてください。私はクランベリーとマンゴーが一番おいしいような気がします。クランベリーのものは、日本ではあまり手に入らないので、おみやげに買っていっても喜ばれると思います。
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