ボストンマラソン


2007年のボストンマラソンは4月16日(月)に行なわれました。第111回目となるボストンマラソンは、連続して続いているマラソンとしては世界一古い伝統のあるレースです。出発地点は42.195キロ離れたホプキントン。2006年までは正午の出発でしたが、今年から午前10時と10時30分の2回に分けてスタート。マラソンはボストンで一番大きい行事の1つで、ゴール地点のコプレー周辺はもうマラソン一色。毎年新しくゴールラインがひかれ、ゴールライン周辺はプレス用の特別席が作られ、ボイルストン通りには観客用の柵がず〜っと立てられます。グリーンライン・コプレイ駅はクローズとなり、ボストン公共図書館周辺は一般の人々は立ち入り禁止となります。詳しいことが知りたい人はボストンマラソン公式ページhttp://www.bostonmarathon.org/で情報が見れます。

ボストンマラソンのロゴマークは左の写真に写っている一角獣・ユニコーンです。スタートライン、ゴールラインの上にも描かれているし、T-シャツなどのマラソングッズには必ずついています。これはマラソンを主催するボストン・アスレチック・アソシエーション(B.A.A.)のシンボルマークです。B.A.A.は神話に登場するユニコーンを神聖なものの代表として、シンボルに選んだそうです。1961年まであった旧B.A.A.のクラブハウスロビーにはブロンズのユニコーンの首の銅像もあったそうです。

近代マラソンはギリシャのマラトンの丘の戦いを記念して、マラトンの村からアテネまでの距離40キロがコースとなったのは有名な話ですが、何故現在のように42.195キロという半端な距離になったのか知ってますか?1908年・ロンドンでのオリンピックの時にウィンザー城の皇太子が自分の窓からマラソンを見たいとわがままを言い、競技場からウィンザー城までの距離があわてて伸ばされたというのが答え。王室の力はスゴイ!

ボストンマラソンは毎年4月19日に一番近い月曜日に行われ、その日はマサチューセッツ州のみの祝祭日。愛国者の日・ペイトリオッツデイという祝祭日で、ボストン郊外レキシントン&コンコードで独立戦争の一番最初の戦いが起きた日を記念したものです。ボストンマラソンの始まりもアメリカの独立戦争にあり、戦場レキシントン・コンコードまでイギリス軍が行進したのと同じ道を走ろうというのが最初のアイディアでした。しかし、それでは公式マラソンとしての距離が十分ではなく、現在のコースへと改められました。ちなみにペイトリオッツデイにはレキシントン、コンコードでは様々なイベントが行われています。マラソンにはそれほど興味がないという人は、ボストンを離れてレキシントン、コンコードのイベントに参加してみるのもいいかもしれません。

ボストンマラソンのコースには次の2つの特徴があります。
  • 折り返し地点がなく、片道行ったきりのマラソン。
  • 全体的に下り坂が多く、出発地点とゴール地点では141メートルもの行程差があります。
下り坂が多いのにゴールまぎわに今度はダラダラの上り坂があって、これを心臓破りの丘(ハートブレイク・ヒル)と呼ぶのは聞いた人も多いのではないでしょうか。この高低差については、コプレイ広場にある100回大会を記念して作られたボストンマラソン記念碑を見てもらうとよく解ります。さらにここではボストンマラソンの簡単な歴史を。記念すべき第1回目は1897年に行われ、連続して続いているマラソンとしては世界一古いものです。最初の70年間は男性のみしか参加できませんでしたが、1970年より女性も正式に参加できるようになりました。昔は、まさか女性がそんな長い距離を走れるとは誰も思わなかったのです。またボストンマラソンのスタート・ゴール地点は、いままで何回か変更されています。1923年までは、スタート地点はアッシュランドでした。またゴール地点は、3回変更されています。1964年まではB.A.A.のクラブハウスがあったレノックスホテルの前。その後1985年までは、スポンサーだったプルデンシャルビルの前(それを記念する銅像が残ってますね)。そして1986年からは、ボストン公共図書館の前になりました。現在のスポンサー・ジョン=ハンコックの自社ビルに近くなったというわけです。

ボストンマラソンは大変日本人にもゆかりのあるマラソンです。第2次大戦が終わってから、海外のスポーツで最初に日本人優勝者を出した大会でもあります。1951年に当時の日大1年生・田中繁樹さんが優勝したのを初めに、53年には山田敬蔵さんが、55年には浜村秀雄さんが、65年には重松森雄さんが、66年には君原健二さんが、69年には采谷義秋さんが優勝しています。最近ではボストンマラソンの大衆化と、同時期に多くのマラソン大会が開催されるために、日本陸連がトップランナーを派遣することが少なくなってきました。しかし、中村監督が独断で瀬古選手を参加させて、瀬古選手は81年、87年と2回も優勝しています。日本人選手の優勝は1987年の瀬古選手が最後ですが、最近では1999年に有森選手が女子の第3位に入る健闘をみせました。ところで余談ですが、ボストンマラソンのスターターは1905年よりブラウン家のファミリートラディッションとなっています。


山田敬蔵さんとボストンマラソン

山田さんがボストンマラソンで優勝した1953年のレースはヘルシンキ・オリンピックで活躍したフィンランドのカルヴォーネン、スェーデンのアンダーソン、山田さんの3人のランナーによる過激がデッドヒートが繰り広げられました。心臓破りの丘を制した山田さんの優勝という結果に終わりましたが、2位のカルヴォーネンとはわずか28秒差、3位のアンダーソンともわずか41秒差という激しいものでした。この時の山田さんのマラソンに打ち込む姿は翌年1954年に大映により姫田眞左久監督「心臓破りの丘」というタイトルで映画化されました。左の写真は、2004年のボストンマラソンに参加するためにいらっしゃった山田さんにお願いして撮らせていただいたものです。念願の山田さんにお会いすることができて、感激でした。

1953年から現在まで、山田さんはボストンマラソンを14回も完走しています。1995年から10年続けて完走するという最初の目標は今年2004年で実現したことになりますが、これから先もボストンマラソンには参加される予定のようです。これから先も生涯現役を目指して頑張って欲しいと思います。余談ですが、山田さんのゼッケンは彼が優勝した年と同じ1953番。現在所属している松下徽章株式会社マラソンクラブのロゴが入ったシャツを着ていらっしゃいます。マラソンで見かけたら是非応援してあげてください。ボストンマラソンでの山田さんの記録は以下の通りです。80才までは頑張って走られる予定だそうです。
  • 1953年 25才 2時間18分51秒 優勝
  • 1957年 29才 2時間33分22秒 6位
  • 1975年 48才 2時間34分51秒 117位
  • 1976年 49才 2時間50分42秒 215位
  • 1995年 67才 3時間00分26秒 60才以上の部・6位
  • 1996年 68才 3時間05分27秒 60才以上の部・7位
  • 1997年 69才 3時間33分14秒 60才以上の部・25位
  • 1998年 70才 3時間38分50秒 70才以上の部・優勝
  • 1999年 71才 3時間36分26秒 70才以上の部・優勝
  • 2000年 72才 3時間27分31秒 70才以上の部・優勝
  • 2001年 73才 3時間39分32秒 70才以上の部・優勝
  • 2002年 74才 3時間57分49秒 70才以上の部・6位
  • 2003年 75才 4時間10分11秒 70才以上の部・5位
  • 2004年 76才 3時間56分48秒 70才以上の部・2位
  • 2005年 77才 4時間28分05秒
  • 2006年 78才 4時間16分07秒
  • 2007年 79才 4時間24分07秒


マラソンのコースはホプキントンから出発して、アッシュランド、フラミンガム、ネイティック、ウェルズリー、ニュートン、ブルックライン、そしてボストンという全部で8つの町をぬけます。どこで応援するかはいろいろと考えたいものですが、代表的な場所をご紹介しましょう。
  • スタート地点のホプキントンまで行く
    マラソンに参加する選手たちはB.A.A.の用意する専用バスに乗って移動しますが、当日は一般の車はスタート地点には行くことができません。スタート地点近くにあるホプキントンステートパークからB.A.A.の用意するシャトルバスを利用することになります。ステートパークまでは、マスパイク出口12番で降り、9号線ウエストから85号線サウスで。ホプキントンの町に入りしばらく行くと、左側にステートパークの看板(左の写真)が見えてきます。そこから先は、誘導してくれる人の指示に従ってください。ステートパークはとっても広いので、どこに車を停めたかちゃんと覚えておかないと帰れなくなるので注意です。とっても大事。

    シャトルバスは85号線と135号線のぶつかったあたりで降ろしてくれます。角のところにガソリンスタンドがあるので、目印にするといいです。135号線をスタート地点の方に行くと、右側にはホプキントンタウンコモンという公園があります。そのあたりには出店がいっぱいでていてにぎやかです。また左のような「すべてはココから始る」という看板もあって、雰囲気を盛り上げています。この看板の前では記念撮影をする人も多いです。

    レースに参加するランナーは出発までのしばらくの間をホプキントン高校にあるアスリーツビレッジで過ごします。高校までは135号線からグローブ通りをまっすぐです。スタート地点は135号線(ウエストメイン通り)のホプキントンコモンの前の銅像のあたりで、ゼッケンの早い番号の人から順番に並ぶようになっています。最近は参加する人数も増えて、12時にレースがスタートしても実際にスタートラインをクロスするまでに時間がかかるようになってきました。そのために正確なタイムを計測するために、ランナーはチップを靴ヒモに付けることが義務づけられています。ゼッケンのもらえなかったその他大勢のランナーは、残念ながら一番後ろにつくことになります。先ずは車椅子のランナーが午前9時25分に、一般のランナーが10時と10時30分の2回に分かれてにスタートします。みんなが一斉に出発していくのですが、後にはランナーがウォームアップに着ていたものや、飲み物などたくさんのゴミが残されるのも驚きです。スタート地点では短い間だけしか応援することはできませんけど、スタートならではの熱気を感じることができます。
  • ニュートン・心臓破りの丘の周辺に行く
    全体的に下り坂が多いコースの中での苦しい最後の上り坂。約7キロの間に3つの大きな上りがあります。古くはジョニー=ケリーで、また私達にとっては瀬古選手でもお馴染みの心臓破りの丘。ここがレースの勝敗の分かれ目でもあります。16号線から消防署の角を曲がって、30号線に入ると少しずつ坂になってきます。ニュートン市役所の先にあるジョニー=ケリーの銅像を過ぎて、少し行ったあたりから心臓破りの丘の始まりです。このあたりがランナーにとって一番苦しいところなので、頑張って応援しましょう。コースは30号線(コモンウエルス通り)上をずっと通ってボストン・カレッジ方向へ向かって行きます。レースには関係ないですが、この辺りはたくさんの豪邸が続いていることでも有名。

    ここでちょっとジョニー=ケリーについて説明します。ボストンマラソンに参加した回数でジョニー=ケリーの右に出る人はいません。20才で初めて走ってから、彼は何と合計61回も参加し、そのうち58回は完走しています。靴ずれによる棄権の経験を活かし、1933年に初めて完走してからその後の14年間に優勝2回、2位を7回という輝かしい記録を残しています。最後に完走したのは彼が84才の時でした。数々のマラソンレースの中で最も劇的だったのは1936年のことでした。前年に優勝していたケリーとブラウンがニュートンにある丘で激しいデッドヒートを演じたのです。この戦いを見たボストングローブの記者ネイソンが「・・thereby breaking Kelley's Heart」とレポートをして、その丘は「心臓破りの丘」と名付けられることとなります。ケリーのファイトと活躍に敬意を表して、この心臓破りの丘のふもと、マラソンコース19マイル地点に彼のブロンズの銅像「Young At Heart(ケリーお気に入りの曲の名前)」があります。この銅像は1935年27才の時に優勝したケリーと1991年83才の時に完走した2人のケリーの様子を表したものです。このあたりでマラソンの練習に励む人にとってのラッキーシンボルとなっていて、記念に銅像を触っていく人も多いようです。ところでまたまた余談ですが、ボストングローブによると上記の記者ネイソンは実は心臓破りの丘の名付け親ではないという話しもあります。1907年に行われた第11回目のマラソンの翌日に発行されたボストングローブに「Heart-breaking hills ahead」という見出しがついたコラムが書かれたそうで、その中で心臓破りの丘がランナーの勝敗を決めるとという文章があるそうです。
  • ブルックラインのビーコン通り沿いに行くマラソンのコースはクリーブランドサークルからケンモアまで、しばらくビーコン通りをまっすぐ行きます。地下鉄グリーンライン・Cラインが通っているので、アクセスも簡単。あんまり混んでいるのもイヤだし、遠くへも行きたいない!という人にはおススメです。ビーコン通り沿いを散策して、比較的空いていそうな場所をゲットするといいと思います。
  • やっぱりゴール地点のコプレイ周辺に行く
    とにかくスゴい人なので、車で行くのはあきらめた方が無難です。グリーンライン・コプレイ駅もクローズになるので、他の最寄り駅を利用しましょう。オレンジラインのバックベイが便利です。コモンウエルス通りを走ってきたランナーはヘアフォード通り(Hereford St.)で曲がって、最後の直線であるボイルストン通りに出てきます。コース周辺ならばどこでも応援ができますが、柵がはられているので、道路を横断することはできなくなっています。先頭ランナーを見たいならば、遅くとも2時にはこのあたりにいないとダメですよ。ゴールしたランナーはゴール地点を抜けてその先で完走メダルを受け取り、そのままボイルストン通りをまっすぐ行くことになります。バークレイ通りを右に曲がり、セントジェームスに入ってからやっと家路に着くことができます。この先が家族との待ち合わせポイントになっていて、ラストネームごとに看板が立っています。またコプレイプラザホテルの1階ボールルームがプレスセンターになっていて(関係者以外は立ち入り禁止ですけど)、表彰式も6時からここで行われます。

    ボストンマラソンに興味があるならば、是非ボストン周辺にあるマラソンゆかりの場所へ足を延ばして見てください。
  • スポーツ&フィットネスエクスポ
    ボストンマラソンの前・2日間には、ハインツコンベンションセンターでボストンマラソン&スポーツ・フィットネスエキスポが行われます。最新のフィットネス・スポーツグッズはもちろん、T-シャツ、トレーナーなどオフィシャルのボストンマラソングッズをゲットできます。入場無料です。会場ではレース前の興奮が感じられるだけでなく、無料のポスターや試供品がもらえたりするので私は毎年行っています。このエキスポではマラソン招待選手のサイン会が行われることもあるので、スケジュールのチェックも忘れずに。またマラソンに参加する選手はこの会場でゼッケンをピックアップします。ゼッケンをもらった後は、マラソン当日荷物を入れるビニールバッグ、記念のT-シャツも忘れずに。またゼッケンのピックアップにはIDが必要になるかもしれないので、念のためにパスポートなどの身分証名を持参することをお勧めします。

  • ビル=ロジャース・ランニングセンター
    ビル=ロジャースは1975・78・79・80年と4回もボストンマラソンで優勝し、ニューヨーク・日本の福岡国際マラソンでも優勝。さらに瀬古利彦選手と心臓破りの丘でデッドヒートを演じたことでも知られています。現在はボストンマラソンの解説者としてもお馴染みです。そんな彼の経営するお店はファニエルホール・マーケットプレイスにあります。マラソングッズなら何でもお任せ。福岡国際マラソン優勝の楯を初めとして、店内はマラソン関連の写真、ポスターなどでいっぱい。週に何度かはビル本人も顔を出すそうで、運が良ければ本人に会えるかもしれません。詳しくはhttp://www.billrodgers.com/へどうぞ。
  • ボストンマラソン100回大会記念碑
    1996年に行われた第100回大会を記念して、コプレイ広場のボイルストン通り側にボストンマラソン記念碑が作られました。コース中の8つの市町村を表した8色のみかげ石を使用したマラソンコース、コースの高低差の表示を中心にして、その周りを優勝者に送られる月桂樹のリースで飾ったデザインになっています。この記念碑には第1回大会から現在までに優勝したランナーの名前とタイムが刻んであって、もちろん日本人の名前も見つかります。いくつ知った名前があるか探してみるのも面白いかもしれません。近くにはマラソンにちなんだものとして、「うさぎとかめ」の銅像もあります。日本の童話だと思っている人が多いのだけど、実はイソップ童話で、レースといえばやっぱりこの話し。一生懸命進んでいるかめに対し、耳をかいてのんびりしているうさぎの様子がユニーク。ちなみに1996年に行われた100回記念大会には何と38708人もの選手が参加しました。
  • ナイキタウン
    ボストンのナイキタウンの店内はボストンマラソンのコースをデザインしてあります。コース中の8つの市町村のサイン、コースで通るストリートサインなどが入り口を入った所の壁にディスプレイしてあります。また店内には過去に活躍したランナーの靴、ゼッケンなどゆかりの物が展示してあります。ナイキの宣伝をするわけじゃないけど、オリジナルT-シャツはおみやげにも人気があるようです。ニューベリー通りとエクスター通りの角にあります。詳しくはhttp://www.niketown.com/へどうぞ。
1999年よりポッキーが撮影したボストンマラソンの写真たちも見ていってください

1999年2000年2001年2002年2004年