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ジョン=万次郎ゆかりの地
ジョン=万次郎の話は子供の時に読んだ「偉人の話し」や学校の教科書などでおなじみだと思います。私も小学校の時に読んだ「中浜万次郎の生涯」という本で万次郎の話を知りました。とはいえ、万次郎が暮らしていたのが、ここマサチューセッツ州だとは知らない人も多いのではないでしょうか。万次郎は マサチューセッツ州フェアヘブンで約3年の年月を過ごしました。ここでは、今でもフェアヘブンに残る万次郎ゆかりの場所を紹介していきます。 その前に万次郎についてもっと詳しく知りたい人は こちらへどうぞ
ミリセント図書館
45 Center St. P.O.Box30 Fairhaven MA 02719 電話: 508-992-5342 日曜と祝日は休館 平日は9時よりオープンしていますが、詳しくは直接ミリセント図書館に問い合わせるか、www.millicentlibrary.orgへどうぞ。 行き方:93号線サウスより95号線を経由して24号線サウスへ。140号線サウスより195号線イースト出口18番で降り、240号線サウスにのり、2番目の交差点を右に曲がって6号線へ。さあもうフェアヘブンの町です。右側にりっぱな高校の建物が見えたら、その角(Main St.)を左に曲がります。角にフェアヘブン・センターのサインがあります。ここからは住宅街で細道なのでゆっくりと走りましょう。Center St.を左に曲がったらスグ右側に写真のレンガのりっぱな建物が見えます。フェアヘブンの町はお隣りのニューベッドフォードに隠れるようにしてあるので(私はMAの国立と呼んでいます・笑)、ちょっと解りにくいような気もしますけど、実際にドライブしてみるとそうでもありません。ボストンから約1時間ほどです。
フェアヘブンにはThe John Manjiro Trailがあり、万次郎にゆかりの場所を回りたい人にはとっても便利です。このトレイルの情報や町の地図を手に入れるならば、まずこのミリセント図書館に来ることをおススメします。ただし、このトレイルを回りたい人はほとんどの建物が現在一般の人々が住んでいる個人のお家だということを理解してください。絶対に住人の迷惑にならないように気を付けましょう。
ミリセント図書館の一番奥の左側にあるThe Rogers Roomは、ジョン=万次郎の部屋としても知られています。入り口を入ったすぐ左横にあるガラスケースには万次郎の写真や日本刀など(写真左)が収められています。実はこの刀には隠されたストーリーがあります。1918年に万次郎の長男・東一郎氏がフェアヘブンに刀を寄贈しました。この贈呈に際して、当時のウィルソンアメリカ大統領がロードアイランド州ニューポート軍港の司令官を式典に出席を依頼し、さらにマサチューセッツ州副知事が演説をするほどりっぱな贈呈式が行われました。この刀は日本との戦争中にも展示されるほど大事にされていましたが、1977年に盗難にあってしまいます。現在展示されているのは、その後Seton Hall 大学の菊岡博士によって盗難にあった刀の代わりとして寄贈されたものです。ロジャースルームには他にも万次郎ゆかりのものとして、フェアヘブンの画家・Arthur=Monizが描いた万次郎と恩師・ホイットフィールド船長の絵(下の写真参照。この絵は絵葉書にもなっています)や万次郎を救出したジョン=ハウランド号の絵などがあります。またここを訪れた日本人から送られた焼き物や日本人形などがいっぱい飾られています。
さらに図書館には万次郎を偲んで訪ねて来た人々のための記帳するノートがあり、頼むと出してくれます。もともとこのノートは図書館を訪れた有名人が記念にサインするためのノートで、1894年にフェアヘブン・タウンホールのオープン記念のスピーチにやって来たマーク=トゥエインのサインなども見る事ができます。ところが1918年に万次郎の長男・東一郎から託された刀を持った当時の駐米日本大使・石井菊次郎が最初の日本人としてサインをしてから、このノートは万次郎を偲んで訪ねて来た人々が記帳するノートとなりました。数々の有名人も訪れていて、1987年には皇太子だった現在の天皇陛下と美智子様、さらにその後にはあの小澤一郎氏(「地球の歩き方」では某大物政治家となっています)のサインも見る事ができます。何と小澤氏のサインは天皇陛下よりも大きく、1人でノートの1ページを使っているというズ〜ズ〜しいものです。現在、ジョン=万次郎・草の根交流会があるのですが、その東京支部の会長が小澤さんなのだそうです。毎年、500人を越える人々が日本から訪れるそうで、そのサインの数の多さには驚きます。ちなみに、私も今まで3回か4回は少なくともサインしていると思われます。このノートも次第に残りページが少なくなり、もう間もなく新しいノートに変わるとのこと。
1987年にはフェアヘブンとお隣りのニューベッドフォードが合わせて、ジョン=万次郎の出身地・土佐清水市と姉妹都市の提携をしました。ミリセント図書館はその姉妹都市委員会の連絡先も兼ねていて、公報も定期的に発行しています。スポーツ、キルトなどを通した交流が積極的に行われているだけでなく、2年に1度「ジョン=万次郎フェスティバル」が開かれます。2005年10月2日に第10回目が開催されました。
ジョン=万次郎トレイルフェアヘブンには今でも万次郎が過ごした頃の建物や場所が残っています。ミリセント図書館で地図をもらったら、是非街の雰囲気を味わってみましょう。ただし、ここで紹介するほとんどの場所が個人が所有するプロパティーです。くれぐれも他人の迷惑にならないように注意しましょう。詳しくはこのページを参考に。
 ホイットフィールド船長の家 11 Cherry St.
万次郎はフェアヘブンでの最初の夜を11 Cherry St.にある恩人・ホィットフィールド船長の家で過ごしました。もともとこの家は1階建てでしたが、後になって1階部分が増築されて2階建てになりました。万次郎はこの家の窓(現在は2階になっている)から何を思ったことでしょう。また、ホイットフィールド船長はこの家の2階の寝室で1886年に亡くなりました。この家のお隣りの13 Cherry St.の家も万次郎がフェアヘブンに来てしばらくしてからホイットフィールド船長が購入しています。
 エベン=エーキンの家 14 Oxford St.万次郎が学校に通う間住んでいた家です。ホイットフィールド船長はしばらくニューヨークへ行かなければいけなくなり、その間万次郎の面倒を見てもらうために船長の以前からの友人:エベン=エーキンにお願いすることになりました。すぐ近くの10 Oxford St.に住むジェーン=アレンが万次郎の学校の先生でした。
 旧オックスフォード学校 North St.
1828年に建てられたフェアヘブンの町に一番最初にできた公立の学校です。万次郎はこの学校に1843年に通っていました。先生のジェーンは個人的にも勉強を教えてくれて、万次郎の英語力は上達していきます。通常はカギがかかっていて中に入ることはできませんが、夏期もしくは事前に予約をすると中を見学させてくれる場合もあります。中は田舎の小学校のようで、小さい机と椅子がいっぱいに並べられています。黒板には今までここを訪れた人々の記念の落書きがいっぱいで、何とここにも○澤一郎さんの大きいサインがありました。私も負けずに名前を書いてきたのはもちろんのことです(笑)。
 バートレット航海学校 42-44 Spring St.
バートレット校では高校レベルの教育に加え、測量術や航海術などを教えていました。万次郎は1844年にこの学校に入学し、2年と数カ月勉強しました。万次郎はバートレット校に入学して間もなく、当時航海者のバイブルとも言われていたナザニエル=ボーディッチ著「新アメリカ航海士」を手に入れます。日本に帰ってから万次郎はこの本を翻訳し、「亜美理加合衆国航海学書」を作成しています。また万次郎の学校での成績はいつもトップクラスだったそうです。
 リバーサイド墓地 Main St.
ホイットフィールド船長、彼の2人の妻:ラスとアルバティーナ、船長の2人の子供が永遠の眠りについているのがこの墓地です。入り口を入って左側にある2番目の細い道をしばらく行くと、右側に写真のような形のお墓が見えてきます。これがホイットフィールド船長のお墓です。その回りには彼の家族のお墓が並んであります。船長は1886年に82才でこの世を去りました。ここを訪れる時にはお花を持っていくといいかもしれません。
 ユニタリアン教会 32 Washington St.現在ノースイースト・マリタイム・インスティチュートとなっているこの場所には、もともとユニタリアン教会がありました。この教会は、万次郎をホイットフィールド一家の一員として礼拝に来ることを認めてくれました。余談ですが、ノースイースト・マリタイム・インスティチュートは航海術を教える学校で、航海術を習い、航海術の本を日本語に翻訳した万次郎と不思議な縁があるかなという気がします。この建物のすぐ前には、2005年万次郎フェスティバルの時に写真のような記念碑が建てられました。ノースイースト・マリタイム・インスティチュートについては以下のサイトを参照ください。http://www.northeastmaritime.com/
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