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フェアヘブン
万次郎と共にこの町で忘れてはならない存在は、ヘンリー=ハットルストン=ロジャースです。彼は1840年にこの町で生まれました。彼は少年の頃から食料品店で働きながら新聞配達をするなど一生懸命働いていましたが、20才の時にこの町を出てペンシルバニア州で富みをつかみます。彼が始めた石油精製所は非常に成功し、最終的に6つの会社の社長を務める億万長者となったのです。高校の友人と結婚したのを機に町に戻ったロジャースは自分の生まれたフェアヘブンの町に多くの公共の建物を寄付しました。現在でもその多くを見ることができます。ここでは万次郎ゆかりの場所と共に見ることのできるロジャースの残した建物を説明します。彼の寄付による建物は、町の他の建物とは違ったデザインなのでスグに解ります。
ミリセント図書館
万次郎にゆかりのある場所として紹介したミリセント図書館もロジャースの寄付によるものです。イタリアン・ルネッサンス形式の図書館は、17才の若さで亡くなったロジャースの娘・ミリセント=ギフォード=ロジャースにちなんで名付けられました。図書館入り口にはミリセントの顔をした詩の女神のステンドグラスが飾られています。図書館は彼女が生きていたら20才になったであろう、彼女の誕生日・1893年1月30日にオープンしました。万次郎ゆかりの品々が展示されているロジャース・ルームには、ロジャース、ロジャースの母、ロジャースの祖母のそれぞれの3枚の肖像画がかけられています。またロジャースは当時の人気作家・マーク=トゥエインの親友でもあり、トゥエインからの手紙も展示されています。この図書館は1986年にNational Register of Historic Placesに指定されました。
フェアヘブン・タウンホール

ミリセント図書館の向かいにあるタウンホール(40 Center St.)はロジャースの最初の妻・アビー=パルマー=ギフォード=ロジャースによって町に寄付されました。フレンチゴシック形式の建物には花崗岩とこの建物のために特別に注文されたレンガが使われています。1894年2月22日のオープニングセレモニーには、ロジャースの親友だった当時の大作家・マーク=トゥエインもスピーチを行いました。このタウンホールの2階にある講堂では多くのタウンミーティングが行われたり、ダンス、コンサートなど町の様々な催しが行われています。右側の写真はタウンホールの中。機会があって入ることができました。タウンホールの中にも万次郎の写真が飾られていて、感激しました。
フェアヘブン高校
6号線(フェアヘブンの町ではロジャースのミドルネーム・Huttleston Ave.と呼ばれています)からMain St.を曲がるその角に(12 Huttleston Ave.)あります。ロジャースが卒業した当時の高校の校舎は木製のシンプルなものでした。ロジャースはこれから勉強する学生のためにりっぱな校舎が必要と考え、1906年に新しい校舎を建てました。エリザベス形式の建物は床には大理石、ステンドグラスの窓、さらに天井にはガーゴイル(怪物のように見える像)も取り付けられた、まさに宮殿のような豪華さです。ジムにはアメリカの高校で一番最初のインドアのバスケットボールコートも作られました。
町には他にもロジャースの残した建物があります。興味のある人は、ミリセント図書館で「The gifts of Henry Huttleston Rogers」という無料のパンフレットがあるのでどうぞ。
キャプテン・ワレン=デラノ・ハウス
ミリセント図書館の1つ先のWalnut St.を曲がった所(39 Walnut St.)にあるこの家は、周りを長く続く石塀で囲まれたとても広い家です。デラノは捕鯨船など多くの船を所有しているお金持ちで、万次郎の恩人・ホィットフィールド船長の親友でもありました。ホィットフイールド船長が不在の時は、日曜日には教会の自分の家族席に万次郎を座らせるほど万次郎をかわいがっていました。実はアメリカ大統領フランクリン=ルーズベルトのミドルネームはデラノで、このフェアヘブンに住んでいたデラノの孫にあたります。デラノは小さかった孫・フランクリンにいつも万次郎の話を聞かせていたそうです。その話を覚えていた大統領は、1933年6月に万次郎の長男・東一郎にホワイトハウスから手紙を送っています。もちろんその手紙は万次郎の子孫によって大切に保管されているそうです。
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